FC2ブログ

九州鳥物帳

明礬地獄

8
明礬温泉について別府で初めて明礬を作ったのは渡辺五郎左衛門で江戸時代前期のこと、その後脇儀助が明礬山を開いています。当時の明礬山は幕府と森藩で別れており森藩が鶴見明礬、天領側が野田村明礬と呼ばれていました。幕末には山奉行、岩瀬謙吾が藩の代表として明礬の製造を支配しました。明治維新からは大分県の直営となり明治17年湯の花製造と旅館に転向その後明礬地域は湯治湯として発展し昭和10年代と戦後の一時期黄金...