薦神社(大貞八幡宮)



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昨日はお休みでお天気も良かったのでぶらりと県北を回って写真撮影をしてきました。

薦神社

社伝によれば、承和年中(834~48)に初めて社殿が造られ、天仁2年(1109)に神宮寺の七堂伽藍が建立されましたが、源平の争乱時の元暦元年(1184)、緒方惟栄によって社殿が破壊されたといわれています。

その後長く記録が途絶えますが室町時代になると、豊前国をも領した周防・長門の守護大内氏によって、応永~永享年間(1418~31)及び天文年間(1532~55)の二度にわたって社殿の再興が行われました。

ついで、慶長5年(1600)黒田氏の転封後入部した細川忠興公は宇佐宮とともに薦神社の復興にも力を注ぎ、元和年間に本殿・講演堂(申殿)・回廊・御炊殿・薬師堂・楼門・若宮殿・南門・鳥居などを造営しました。復興された薦神社境内の様子は、その時に描かれた宇佐宮絵図にうかがうことができます。

細川氏の復興した楼門が現在の神門で、国の重要文化財に指定されています。

明治20年の薦神社明細図書には幕末以後造営された社殿の記載があり、若宮社・祇園社・呉橋・馬屋・玉垣・黒男社・井戸館などの建物がみられます。

その後二度にわたる大戦とその後の混乱の中で社殿の老朽化が進んだため、平成7年から神門(重要文化財)の解体修理、9年から拝殿・申殿などの修理を行ってまいりました。

なお、昭和51年三角池と薦神社が県の史跡に、55年には三角池の水生・湿池植物群落が県の天然記念物に指定されています。



神門(国指定重要文化財)

裳階付き三間一戸二重門。元和8(1622)年に細川忠興が再建して以来、中津藩主小笠原氏・奥平氏も修復に力を尽くしました。平成の大修理では、建物の解体段階で、多くの墨書銘が発見され、さらに再建時の屋根はこけら葺きであったことが判明、このため桧皮葺きからこけら葺きに復元されました。

神門には三つの大きな特徴があります。第一に、二重門の前後には、庇状の裳階が付設されていることです。第二に、平面の規模に比べ立面は縦長で、側面から見ると幅が狭く、棟高を一層感じさせられます。第三に、木鼻の細部の繰型や絵様が豊かで線も伸びやかで、意匠や造りが共に優れており、工匠の技量の高さがしのばれます。


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